だれかの散文|黒木あるじの山形あやかし取材帖
2021(令和3)年は干支でいうところの丑年にあたる。「牛歩戦術」や「牛に経文」などあまり宜しくない喩えに用いられがちな牛だが、意外にも怪しげな伝承に登場する機会は多い。牛の顔を持つ妖怪・牛鬼の伝承は全国津々浦々に残っているし、人面牛身の予言獣である件(くだん)もコロナ禍において大いに注目された。もちろん山形県にも牛絡みの伝承が数多く残っている。今回は、そのなかから印象的なものをいくつか紹介したい。
第壱話
まずは牛仏の伝承からはじめよう。仏といっても拝みたくなるようなありがたい代物ではない。夜な夜な町に出現した怪物の話だ。《》で括られた箇所が要約部分、最後の()内が底本とした文献になる。
《ある夜、堀某なる侍が酒田の観音寺町で囲碁を楽しんだのち、家までの道を帰っていた。すると城輪(きのわ)という地区にさしかかったおり、道の中央にでんと置かれている黒いかたまりを見つけた。見ればそれは一頭の巨大な牛で、太い首を伸ばし水を飲んでいるではないか。かねてより「この地に置かれた石碑が牛に化ける」との噂を耳にしていた堀某、腰の刀を抜くと牛にひと太刀を浴びせ、そのまま帰宅した。翌日おなじ場所をとおったが牛の死骸は見あたらず、かわりに石碑の肩口が斜めに欠けていたという。以来、この碑は牛仏と呼ばれるようになったそうだ。》(『山形県伝説集』山形東高校郷土文化研究部編)
怪物に化けた巨石を剛の者が退治する──との怪異譚は県内各地に数多く伝わっている。矢で目を射抜く場合が多いのだが、酒田での話は侍による一刀両断、おまけに牛の姿の化け物という点がなかなか興味深い。庄内地方は出羽三山信仰と縁深い土地であり、三山のひとつにあたる湯殿山は丑歳丑日が開山とされているため、牛は湯殿山大神の化身として崇められている。そのあたりも関係しているのか否か。
ちなみに化け牛が出現した城輪は近年、奈良時代の城柵が発掘されて話題となった。現在は保存整備事業により政庁南門や築地塀の一部が復元され、当時の面影を窺うことができる。堀某が遭遇したのは、江戸よりはるか昔の怪物なのではないか──などと想像を巡らせるのもなかなか愉しい。
『山形県伝説集』は山形東高校の郷土研究部が地域の伝説・伝承を集めた一冊で、1952(昭和27)年に「村山編」を、翌53年には「置賜編」、54年からは毎年「最上地方編」「飽海地方編」「田川地方編」を刊行。60年には「総合編」として一冊にまとめられている。全5冊をかけて収集した伝説の総数、なんと1049編。高校生が集めたとは思えぬ充実ぶりは偉業というほかない。戦後の県内に残された伝説を知るまことに貴重な資料だ。現在は古書店で見つけるよりほかないが、ぜひとも復刊が望まれる。
第弐話
続いても酒田での出来事。鳥江正路の随筆『異説まちまち』に記された、牛の頭ほどもある〈不思議なモノ〉の話だ。
《夏のある日、酒田の晴れわたった空の中天に、竜の頭部があらわれた。大きさは牛の頭ほどで、眼光だけが異様に輝いている。いまにも降りてきそうな気配があったので、人々はみな必死になって下から追い返そうと試みた。けれども竜頭に変化はなく、依然として空を漂っている。と、まもなく雲が湧きはじめて竜のまわりへどんどんと集まり、ついには頭部も雲に隠れ、すっかりと見えなくなってしまったそうだ。(『随筆辞典 奇談異聞編』柴田宵曲)
竜神が出現したとの説話は数多あれど〈頭のみ〉というのはなかなか珍しい。その珍奇さが却って生々しさを醸しだしている。晴天を人々が眺め、その視線の先にぽっかりと浮かぶ竜の頭部──どこか長閑な光景が、なおのこと奇妙な空気を生んでいる。現代ならUFO騒ぎにでもなっていたのだろうか。興味は尽きない。
『異説まちまち』は18世紀中期の作とされ、作者の鳥江正路なる人物は関宿藩士だった和田庄太夫の筆名とされている。母方にあたる松浦氏は庄内藩士であったというから、山形の話もそこから聞いたものかもしれない。
この『異説まちまち』をはじめとする奇しい随筆をまとめたのが明治時代の書誌学者・柴田宵曲(しょうきょく)。博識な人物で書物の編集や校正に数多く携わったほか、江戸の怪談奇談の編纂でも知られている。本稿の底本『随筆辞典 奇談異聞編』は1961年の刊行だが、のちに『奇談異聞辞典』と名を改め、ちくま学芸文庫から出版されている。現在でも我々が入手できる貴重な一冊だ。
第参話
最後は、牛が登場する怪しくも悲しい物語で終わろう。新庄城址(現在の最上公園)に伝わる人柱の話だ。
《江戸時代のはじめ、新庄に築城していた新庄藩初代藩主・戸沢政盛は地盤の弱さに難儀していた。そこで政盛は老婆を牛の背に乗せたまま沼に沈めて人柱とし、地固めをおこなった。まもなく城は無事に完成したが、それ以来、藩に変事が起こるたび牛に乗った老婆が姿を見せるようになった。また、何度となく堀の土手が崩れたが、そのたびに城内では女の忍び泣く声が聞こえたそうである。》(『山形県最上地方の伝説』大友義助)
人柱の言い伝えは全国各地に残っているものの、その大半は史実に基づかないとされている。沼田城の人柱もほかと同様に伝説のようだが、人身御供となった対象はなんとも興味深い。人柱伝説は築城に携わった労働者や生娘を捧げる場合が多いのに対し、沼田城は老婆と牛なのだ。城を創建した戸沢氏の氏神は天満神社であり、祭神の菅原道真は牛と非常に関係が深い。それに基づく連想なのかもしれないが、それでも老婆の存在には謎が残る。どのような背景があったものか、妄想がはかどってしまう。
『山形県最上地方の伝説』は1996(平成8)年刊行。作者の大友義助氏は真室川高校や新庄北高の教員を務めたのち、退職後に新庄市史編纂室勤務を経て新庄市雪の里情報館に勤務した。新庄市をはじめとする最上地方の伝説や習俗に造詣が深く、先述した書籍のほか『新庄のむかしばなし』など多数の著作を世に送りだしている。いずれも最上地方の怪しい話を楽しめるものばかりだ。一読をおすすめしたい。
黒木あるじ
怪談作家。1976年青森県弘前市生まれ。東北芸術工科大学卒。池上冬樹世話役の「小説家(ライター)になろう」講座出身。2009年、『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞し、2010年に『震(ふるえ)』でデビュー。